2012年5月15日 (火)

“前輪が見える”こと

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バスを運転していてハンドルを末切りすると、上の写真のように前輪がサイドミラーに映ってしまう。普通乗用車ではあり得ないことだ。バスに乗り慣れていない頃は、これが何だか凄く不気味で、変な気分だった。

然し、歳月は流れ、私もバスの運転手となって20年以上が過ぎた。

そうなると今度は殊勝なもので、ハンドルを切った時に前輪がミラーに映っていないと「あれ? 今、ちゃんとハンドル切っているよなぁ……?」と思うようになってしまった。

所謂“慣れ”によるものだろう。自分の境遇によって感覚が変わってくるものだと、この「ミラーに映った前輪」を見る度に思う。あれだけ不気味に思っていたものが、今では逆に安心材料になっている。

バスの車長は大まかに言って普通乗用車の2台分、11mくらいだ。車体の構造も普通車とは全く異なっている。軽乗用車なら後輪がある辺りに、バスなら前輪がやっとある。それだけ感覚の異なるものを自分が運転できるようになるとは、夢にも思わなかった。

いつの間に私は「バスの運ちゃん」になったのかなぁと、不思議でたまらない今日この頃ではある。

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2012年5月 9日 (水)

愛知環状鉄道をやっと制覇

私にしては珍しく、事後報告である。

先日の連休中に、愛知環状鉄道に乗りに行った。元々は国鉄「岡多線」として岡崎から新豊田の間で運転されていたが、国鉄の手を離れて第3セクター「愛知環状鉄道」になってから、新豊田から高蔵寺の間が新たに開通した。

いつもの千種から金山へ出て、東海道線の普通に乗り換える。快速や新快速でも愛環鉄道の始発駅・岡崎には止まるけれど、快速だと混むのが嫌なのと急ぐ理由もなかったから、敢えて普通に乗った。

案の定、笠寺を過ぎたら

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車内はガラガラになった。時折、お客の増減はあったけれど、まあ大体こんな感じで岡崎着。

次の愛環の電車は、12時49分発の高蔵寺行らしい。愛環専用の0番線で待っていると、「間もなく電車が参ります」とアナウンスが入り、愛環の電車が姿を現した。

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私は方向幕マニアなので、列車の側面の方向幕は眺めずにいられない。

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岡崎に居ながら、「高蔵寺」の方向幕が拝めるのは、何か不思議な気持ちがする。自分の頭中の鉄道路線図は、JRから離れてしまうと関心度が薄れるので、岡崎と高蔵寺が結ばれていることに今ひとつ納得がいっていないのだ。

ただ、この愛環はJRとの結びつきが強い。現在でもJR中央線からの直通乗り入れ列車があるし、「愛・地球博」が開かれた時は、途中の八草(万博当時は「万博八草」と駅名を変えていた)からやはり中央線直通のシャトル列車が多数運転された実績もある。

現在走っている愛環の車両も

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JR東海の313系を、殆どそのまま継承した形状となっている。

さて、12時49分、定刻に発車。暫くは岡崎の市街地を行くが、10分ほど走ると川幅の広い矢作(やはぎ)川を渡る。

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愛知県の三河地方では随一の流れだ。車窓も徐々に、市街地から外れたものになっていく。

矢作川を渡ったすぐの駅が北野桝塚で、ここには愛環の本社がある。乗務員の交代もある。

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愛環の乗務員運用に「便乗」があるのかどうか知らないけれど、それがなければ唯一の乗務員交代駅となる。また、駅の北側には、車両基地も併設されている。

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北野桝塚は、国鉄岡多線時代はトヨタの乗用車を「ク5000型」貨車で積み出す、貨物主体の駅であった。現在の車庫は、その貨物駅への引込み線跡を利用している。

ちょっとのんびりした景色を10分ほど見下ろしていると、今度は徐々に豊田の市街地へと入っていく。「世界のトヨタ」の中心地だ。

線内では一番の繁華駅、新豊田で一旦降りる。先も書いた通り、岡多線時代はここが終着であった。どんなに変貌しているかと思いながら、ちょっと興味を持ちながらの下車である。

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国鉄時代は自分が立っている側のホームしかなかった覚えだが、交換ができるように反対ホームが新設されている。また近くには名鉄の豊田市駅があり、そこへの連絡通路が延びているのが見えた。

少しホームで待っていると、反対の岡崎行の電車が入ってきた。

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昼間の閑散時はここでの交換はないけれど、朝夕のラッシュ時は交換の他、この駅で折り返しとなる列車の設定もある。

岡崎行を見送って暫く待つと、次の高蔵寺行が入ってきた。これで一気に終点の高蔵寺まで行こうと思う。万博開催直前に八草から高蔵寺は乗ったことがあるので、今から乗る新豊田から八草までの間が、未乗区間になる。

名古屋の近郊地帯を行くのだから、特筆するほどの景色はない。意外に思ったのは、トンネルが何箇所かあったことと、あと瀬戸口付近の車窓で

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「瀬戸デジタルタワー」が見えたことだろうか。「瀬戸デジタルタワー」は正式には「瀬戸デジタルテレビ送信所」というのだそうで、中京圏のテレビのデジタル電波発射塔である。こんな所にあったのか、との気がした。

瀬戸市を出て、中水野付近のちょっと山間っぽい景色を抜けたら、あっと言う間に終着の高蔵寺だった。元々が国鉄線として計画された路線なので、高蔵寺もJR駅に乗り入れる。

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JR東海の橙帯の駅名標と、愛環の鉄道車両が同居している。

短時間ではあったけれど、名古屋近郊ながら見慣れない景色を見れて、ちょっと面白かった。それに、近郊ながらやっと愛環鉄道を完乗できた。

高蔵寺からの帰りは「みどりの窓口」へ行って、

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敢えてマルス券で千種までの乗車券を買った。

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2012年5月 4日 (金)

マンガ好きのおっさん

最近コメントを頂くようになった“るふるん”さんのブログを拝見していて、改めて思い出したことがあるので、それを本日の記事にしようと思う。

私は一人暮らしになってから、俄然マンガを読む機会が増えた。以前は北杜夫さんや宮脇俊三さんの単行本を読む機会が多かったが、魚澄庵に移ってベッドに枕元灯をつけたら、夜寝る前にマンガを一日に一話読んでから寝る、変な癖がついてしまった。マンガを読んだ後って心も体もリラックスするから寝つきが良い、とヘンテコリンな理由をこじつけている。

枕元にも

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何やら怪しげな漫画本が常に置かれている。

読むマンガは実に種々雑多だ。それらが魚澄庵の「倉庫部屋」と自ら呼んでいる秘密の6畳間に、ズタズタと隠すように置いてある。

取り敢えずはその「倉庫部屋」。

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コピー機やカメラ類に混じって、パソコンのケーブルや旅行時の資料などもゴタゴタと置いてある部屋だ(奥に押入れが見えるが、流石にこの押入れはお恥ずかしくて中をお見せする訳にはいかない)。

そんな部屋の一角に、漫画本のコーナーがある。

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センプーキも見えているが、まあここは無視しておいて頂いて。奥の白い棚が、皆、マンガを詰め込んである本棚なのだ。

私にとって元々は、高橋留美子さんがマンガ好きになった原点である。それで、本棚の中でも高橋留美子さんの作品が大きく場所を取っている。

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お馴染みの「めぞん一刻」から

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ラムちゃん(「うる星やつら」)や「らんま1/2」などが所狭しと並んでいる。

一方で、「サラリーマンマンガ」と呼ばれるものもある。私が好き好んで読んでいるのは「山口六平太」。

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「山口六平太」に関しては、「物語が出来すぎている」とか批判のお言葉もあるようだが、今現在で単行本が66巻まで出されている長寿マンガだから、それなりに支持もあるということだろうと思う。

更に最近では、新しい若い方向け(と思われる)のマンガも攻略している。

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画像を拡大して頂かないと判らないと思うが、「涼宮ハルヒ(すずみやはるひ、と読む)」関連のマンガに結構ハマっている。初めは意味不明で読み出したが、読んでいると結構ギャグとかあって面白いのだ。

あまりネタをばらすと、私生活が疑われる恐れがあるので程々にしておくが、何しろ私は「面白ければいい、気分がほぐれればいい」と思ってマンガを読んでいるから、何年かの内に、ことほど然様に色々な漫画本が我が家へ集結してしまった。

これらのマンガ本はまだまだ増えていくと思う。一つのことに結構のめり込むオヤジであるから、面白いと思えばまた何か新しいネタを買い込んでくるに違いない。

精神安定剤の一種と思って頂ければいいだろう。そんな私の暮らしの一部ではある。あ、流石に少女マンガはないなぁ……。

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2012年4月28日 (土)

119系、「するがシャトル」の時代

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『N市のTさんのブログ』のコメントで少し書かせて頂いたが、先に引退した119系電車に僅かな時代ではあるが「するがシャトル」塗装の車両が存在した。するが=駿河で、要は静岡地区の東海道本線に於いて運用された車両があるのだ。

上の写真がその時代の塗装。もう一枚写真があるので、そちらもご覧頂こう。

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保線のおっちゃんも写ってしまっているが、こんな塗装だった。正面の3本線の山は富士山を象徴しており、側面のストライプ風に見える斜線は「“す”るが“シ”ャトル」の頭文字「SS」をデザインしたものだ。

「するがシャトル」が登場したのは1984年2月のダイヤ改正で、静岡地区の東海道線の運転間隔をほぼ10分おきとする増発で、集客を計ろうというものであった。当初は113系電車で運転されたが、増発するのに車両不足が発生し、飯田線で運用される119系電車を静岡に持ってきて119系も晴れて東海道線を走ることと相成ったそうだ。

ただ一つ、ここでお詫び申し上げなければならないが、N市のTさんへのコメントで「119系の2両編成が、東海道本線の輸送力の障害になる」書いたのは大きな誤りだった。N市のTさんご自身が書いておられるが、正確には「短い駅間距離の路線を走ることを前提に作られた119系では、東海道線を走るための走行性能に難点があった」が正当であった。この点は深くお詫び申し上げる次第である。

さて、あまり文ばかり書いていてもいけないので、するがシャトル時代の画像を少しご紹介しようと思う。

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偶々撮った写真だが、富士駅で旧塗装時代のクモハ123と並ぶ「するがシャトル塗装」時代の119系。1989年年頭には、こんな風景も見られたようだ。

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するがシャトル時代の車番表示。赤地に白抜き文字の車番は、本当に限られた時代しか見られなかったようだ。

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これは「するがシャトル」時代の119系の方向幕。「するがシャトル」は主に島田~富士の間で運転されていたらしいので、当時としては珍しくも何ともない方向幕だったと思う。トレードマークの富士山が入っているのだけが、今となっては希少価値があるのかなと。

この旅行の帰り道に、これまた偶々、豊橋駅で両運型のクモハ119(つまりは100番代)の国鉄色を写していた。

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当時は豊橋~新城のローカル運用が主だったので、こんな写真も残っていた。クモハ119-100番代は、晩年はインバータークーラーを取り付けた関係で、5100番代として活躍していた。

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これは、そのクーラー改造を受ける前の、純正番台時代の車番だけを写したもの。今から思うと、我乍らよく撮っておいたなぁと思う。

過去の記録帳を見ると、今回ご紹介した写真は全て1989年(昭和64年)1月5日の撮影とある。この2日後に昭和は終わってしまったのに、私は能天気に電車の写真を撮り歩いていたことがここに露呈してしまう。

自粛ムードの時代に、撮り歩いて遊んでいたのは不遜かも知れないが、撮ったら撮っただけの価値はあっなぁと思っている。

以上、N市のTさんへの大遅延コラボでありました(滝汗)。

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2012年4月22日 (日)

小山近辺での写真

少々時間が空いてしまったが、先日の小山近辺での写真を何枚かご覧頂こうと思う。

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飯岡駅付近の陸橋から撮った、宇都宮(タ)発川崎貨物行のタキ貨・5586レ。名古屋や北海道では滅多に見られない青タキが多く連結されていて、地域差を感じる。飯岡~新飯岡にて。

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桜を少しでも見せたかったので、敢えて列車は機関車だけでブラせ、桜の面積を多くしてみた。これも返空タキ貨の1074レ。飯岡~新飯岡にて。

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栗橋では「スペーシスきぬがわ」等、JR⇔東武乗入れ列車が両社の境界を跨ぐ。一般人の入れない小さいホームでは乗務員の交代も行われる。この写真では女性レチさんがJRの職員。

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石橋駅付近では在来線が新幹線の高架下に沿う。コンクリートの無機質な景色の中に、無機質(に思える)なステンレス車体の231系車両を組み合わせてみた。雨だったので、自分ではより一層冷たい景色に感じる。石橋~雀宮にて。

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カメラの放列に混じって撮った“ヒガハス”での「北斗星」。この日の「カシオペア」は、この写真と同じ青塗装のEF510-502号機で色の統一が取れていなかったから、こちらをアップしておく。こんな景色が大宮の近くにあるとは知らなかった、が本音。

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上の“ヒガハス”を蓮田寄りに歩いて反対側を向くと、この景色が撮れると撮影地ガイドに書いてあったので、言われるままに撮ってみた。ちょうどEF65PFの国鉄色が来てくれたので、運が良かった。上の2枚とも東大宮~蓮田にて。

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自治医大駅付近で見つけておいた、桜と列車が撮れる場所。すーさんにはお話していたのだが、3月のダイヤ改正以後、東北線にもFE64が度々入るようになっているようだ。これは時間から6096レ?と思っているが、この列車もご覧の通りとなっている。

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おまけ的にもう一枚。上の写真とほぼ同じ場所なのだが、フィルムが終わったのでカメラを片付けていたら、この列車が来たので慌ててコンデジで撮った。ゆっくりと走ってきたので何とか尻撃ちが出来た。やっぱ、桜の景色に国鉄色はいいなあと思う。上の2枚とも小金井~自治医大にて。

有名撮影地から無名撮影地まで、探せば色々撮影場所はあるものだと思う。
ご高覧、お疲れ様でした。

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2012年4月17日 (火)

雨の烏山線を1往復

先日の旅行記で、後日別掲とするとした烏山線の往復乗車を振り返ろうと思う。

宿泊地の小山から宇都宮までやって来る。宇都宮では

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レトロ塗装になった日光線の方が有名かも知れないが、烏山線の列車も多くが宇都宮を帰着点としている。

中途半端な時間に起きたので、今度の烏山線は10時41分まで待たなければならない。待ち遠しい思いで待っていると、独特のカラーのキハ40が入ってきた。

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キハ40の1000番代で、車内は残念ながら

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ロングシート化されている。1000番代は烏山線専用の改造車両なのだ(1両だけ、何故か秋田に配属されている車両があるが)。

東北線の接続待ちで、少し遅れて発車。2駅、東北線を下り、宝積寺からが烏山線となる。

宝積寺で東北線との分岐を終えると

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俄かにローカル色が濃くなる。窓外も、のんびりした風景に様変わりする。

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田畑が目立つのは、ローカル線の宿命みたいなものだ。

乗車した4月11日時点で、宇都宮では桜がほぼ満開状態だったが、2つ目の仁井田だったかで駅の桜を見たら

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まだ殆ど蕾の状態だった。そんなに勾配を上った感覚はないが、桜の花は嘘をつかないから、そう云うことなのだろう。

宝積寺から4つ目が

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「おおがね」で、縁起駅名として有名なところだ。ここで、上り列車との交換もある。

烏山線では、起点の宝積寺、この大金を絡めて、各駅を七福神に見立てて演技担ぎをしている。列車のサボ面にも

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こんな感じで七福神が描かれている。

小塙・滝と駅を過ぎて、7つ目が終点の烏山になる。実質の所要時間は35分程度、20キロ強のローカル線なのだ。

終点・烏山に停まるキハ40。

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折り返しまで1時間弱の時間がある。昼時も近いので雨の駅前を眺めると

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こんな暖簾と「営業中」の文字が目に入った。迷わず直行する。

かき揚そばを頂く。

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値段は340円と、駅そばと変わらない。スタンド方式だし、駅そばの一種?と思って営業主体者名を探したら、こんな張り紙を見つけた。

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つまるところ、JRバスのそば屋なのだ。実質、駅そばと変わらない。

さて、話は再び烏山線に戻るが、この烏山は国鉄時代に“元祖・ミステリー列車”が運転された時の終着駅でもあった。上野始発の12系による列車で、宇都宮まではEF65PFが、宇都宮から先はDE10か15かが牽引した。鉄道雑誌にも大きく取り上げられた。

その時に雑誌で見た、駅舎の写真が今も脳裏に焼きついていて、青い屋根の駅舎が印象的だった。現在も

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殆ど当時と駅前が変わった印象はない。あれは1979年のことだったと思うから、30年以上変わらぬ姿を保っているということだ。

ただ、構内は

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いつの間にか機回し線が剥がされている。現在はキハ40による運行が日々行われているだけだから、不要な機回し線は姿を消してしまったらしい。

単調な記録に過ぎないが、2012月現在の烏山線はこんな感じだった。個人的には1990年に撮影に訪れているから22年ぶりになるが、記憶以上に山間に入った感じがあったこと、そして小さいながら機回し線廃止の変化があったことが、印象に残った。

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2012年4月12日 (木)

大まかに言って、小山近辺の撮影旅行

1日目(4月10日)

東北本線の大宮~小山~宇都宮近辺を撮ろうと思う。この区間には有名な撮影地などもあるから、それなりに絵に出来ればと思い、出掛けることにした。

9時半過ぎの新幹線で東京へ出、東京・上野と乗り継いで東北線の土呂駅で下りる。特別いい撮影地がある訳ではなく、ちょっと駅撮りをしただけでここは退散する。

次に向かうは、白岡駅。

Dscn2658新旧が同居したような駅を出て、駅の北にある陸橋へ赴く。徒歩15分程度だ。

辿り着いた陸橋は

Dscn2659こんなありふれた場所。ただ、ここからの線路の眺めはいいので、暫くここに居つく。

陸橋から俯瞰の後、少し別の角度からの写真も撮って駅へ戻る。
この後、栗橋でも少々駅撮り。

少し早いが16時36分の下りで小山へ行く。今日・明日の宿泊地は小山なのだ。17時には駅前の某横インにチェックイン。

身支度を整えたりして、18時少し前にまた宿を出る。実はこれから「すーさん」とお会いする約束がしてある。すーさんは、愚ブログやN市のTさんのブログ、vanagon714さんのブログでもコメンテーターとして色々と興味あるコメントを書いておられる方だ。一度お会いしたいと思っていたのだが、今回私が赴く方面にお住まいとのことで、某駅前で落ち合って★しましょう、となっているのだ。

出掛ける途中に小山駅で、これをGET。

Dscn2662ef65その昔、上野駅でチラ見できたことはあったが、こうした形で撮れたのは初めてだ。これもすーさんとお会いするお約束をしたからこそである。

さておき、お約束ぴったりの時間に落ち合って、ご挨拶も早々に★する。すーさんは私が想像していた以上におおらかで温厚な方だった。バスや鉄道の話などあれこれする内に、あっという間に夜の11時が近付いてきた。終電車の加減などもあるから、まだお話したい気持ちを振り切って「では、また今度」と相成る。飲み代も殆ど払って頂いてしまって申し訳ない。

この場を借りて、貴重なお時間を割いてくださったすーさんに、厚く御礼申し上げる次第である。『有難うございました』。

2日目(4月11日)

朝起きると、天気予報どおり雨になっている。当初の予定を変更して、明日3日目に乗ろうと思っていた烏山線に乗りに行くことにする。元々私の乗車券は

Dscn2674こう作ってもらってある。烏山線往復の件は、後日別掲としようと思う。

13時半くらいに宇都宮へ戻ってきた。雨は相変わらずなので、

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Dscn2698_2で、簡単に駅撮りしただけで、今日は終了。今夜は特に予定はないが、スブ濡れになってまで撮る気持ちも湧かなかったので。

明日は天気が回復するらしいから、戻りがてら撮れればと思っている。

3日目(4月12日)

朝はまあまあ人並みの時間に起き、大宮方面行の電車で蓮田まで行く。蓮田駅から徒歩25分の場所に「東北線随一の有名撮影地」があると撮影地ガイドで読んできた。隣の駅は東大宮で、両駅の頭文字を取って「ヒガハス」と呼ばれている撮影地だ。

辿り着いた場所は

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いや、別にゴミ捨て場に行ったのではない。はっきり言って、これは我々“撮り鉄派”の恥であろう。ここで鉄道写真を撮った人たちが、フィルムの空き箱やジュースの空き缶などを無遠慮に捨てて行くので、地元の方たちが困ってしまわれた結果なのだと思う。せめて自分は、かような行為に及ばないように心掛けたい。

閑話休題、今日は平日だが「カシオペア」も運転される日だからか

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こんな感じでカメラの放列が出来上がる場所なのだ。私の後ろにも5人くらいの方がカメラを構えておられた。関東圏で午前中限定の撮影場所でもあるので、余計、こうなるのだろう。

「カシオペア」と「北斗星」の東西横綱を撮り終わり、帰途にも少し撮って、蓮田駅へ戻る。途中で見つけた道路沿いの落書き。

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落書きは決して良いことではないが、よくぞまぁこれだけ同じものを何個も……と半ば呆れ返る。

さて、一旦は小山から大宮近くまで戻ったのだが、まだ時間があるので再び下り方面の列車に乗り、小山を通り越して自治医大駅まで行く。昨日、駅付近で、満開の桜を絡めて撮れそうな場所を見つけておいた。

肝心な画像は上手く撮れていたら後日アップさせて頂くが

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取り敢えずは、先日suzuran6さんがアップされたのと同じような写真で堪忍しておいて下さいまし。

上手い具合にフィルムも使い切って、そろそろ昼時なのでコンビニで適当なものでも買って……と思っていたのだが、自治医大駅前にはコンビニが見当たらない。居酒屋の「庄や」が昼食営業をしていたので、止む無くそこで昼食とする。

今度こそは、帰り道にする。自治医大駅のみどりの窓口で

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こーゆー贅沢なものも買い込んで、隣の小金井からはグリーン車の客となる。自治医大からのグリーン券にしなかったのは、縁起のいい「金」の字の入る「小金井」発のグリーン券を手に入れたかったからである。

上野まで満開の桜などを見ながらゆったりと過ごし、往路の逆で上野・東京と乗り継ぎ、あとは新幹線で名古屋へ戻るだけである。

中日(なかび)の2日目が雨に降られてしまい少々中途半端な撮影になってしまったが、撮影だけが目的ではないし、すーさんともお会いできたことだし、関東まで出掛けた甲斐はあったなと思わせる旅行であった。

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2012年4月 4日 (水)

「アホ」とは何ぞや?!

私が蒐集しているサボ類で、こんな一枚がある。

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行先は東能代で、然程珍しいものではない(因みに裏面は「青森」)。
ところで、だいぶ以前に「サボ類にも車両と同じように所属箇所がある」として、雑餉隈(ざっしょのくま)の例を挙げた。このサボにも右下隅にそれらしきものが書かれている。

お読みになりづらいと思うので、アップで。

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何と、字面の悪いことに「(アホ)」と書かれている。アホとは一体どこなのか。

私も判らなかったので、これを売ってくれたお店の方に尋ねると「ああ、これはね、オモリ・ーム」の略なんだよ」とのこと。

青森には国鉄時代、運転所があった。運転所の場合は「ウ」として略されることが多い。札幌運転所の「札サウ」などは有名な例であろう。ところがこのサボは運転所所属ではなく、「青森駅」の所属だったのだ。
駅の場合、「エ」と略されるケースが多いはずだが、青森では「ホーム」の方を用いてしまった結果、こうしたとんでもないイレギュラーが発生してしまったそうなのだ。

そう云えばその昔、大阪鉄道管理局内の網干(あぼし)に電車区があった(現在では総合車両センターになっている)。ここの電報略号を決める時に、大阪鉄局だから「大」は決まっているとして、後のカタカナ2文字を慣例に従って初めの2文字としようとしたら……お判りであろう、とんでもない電略になってしまう。それで、敢えて後ろの2文字を使って「大ホシ」と云うことで一件落着となったとの話を聞いたことがある。

略号も気をつけて使わないと、「うーん」と唸るような例外が発生してしまうケースがあるようだ。「アホ」を敢えて採用した当時の盛岡鉄道管理局は、あまり深い考えもなしに使ってしまったのだろうか?

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2012年3月29日 (木)

IS時の音楽中止

私たちの職場のバスでは、エンジンがアイドリングストップ(IS)した時に、自動的に音楽が流れる設備が放送装置に取り付けられている。

音楽の内容は営業所によって多少異なるが、大まかにクラシック系の曲を軽く聞こえるようにアレンジした音楽が使われている。当たり障りのない音楽にしてある。

元々はといえばこの音楽は、お客様からの要望で平成12年式の車から取り付けられるようになったものだ。「アイドリング時に車内がし~んとして白けてしまう。浜松の遠鉄バス(確かそうだったと思う)では採用しているので、あなたたちの職場でも採用すべきだ」と指摘を受け、かなりの金額をかけてプログラム開発をして貰い取り付けたと聞いている。

音楽が流れるには幾つかの条件がある。

①エンジンがIS状態であること(エンジンキーでエンジンを切っても音楽は鳴らない)。

②案内放送装置が稼動状態であること(回送中も含める)。

③扉が全て閉められていること。

以上の条件を満たすと、私たちの確認用ディスプレイに

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右下、白丸で囲ったが「*」のマークが表示され、車内では音楽が流れるようになっている。

導入後、暫くは一部の方から「軽快な音楽でいいですね」と云った意見が寄せられたようだ。私も一度だけ、降りていくお客様からそう言われたことがある。

ところが2年もしない内に、多くのお客様から「静かな車内に耳障りな音楽が流れて迷惑だ」とのご意見が相次ぐようになった。正直言って、私も毎度毎度同じ音楽を聴かされて、ちょっとウンザリしていた。

する内、お客様から直接「あの音楽、切ってちょうだい。耳障りで苦手だわ」と言われた。上司に報告すると「そのお客様の氏名と連絡先を聞いて上司に連絡するように。音楽は切らないように」と指示を受けた。

しばらくの内は辛抱して音楽を鳴らしていたが、お客様から3回目の「音楽を切って」の意見を受けてから、もうバカバカしくなって自分から音楽を鳴らすのを止めた。

因みに音楽は

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案内放送を流す押しボタン(↓)と同じ機器に、ディップスイッチがついていて(白丸で囲ってある)、それを倒すことでオンオフが可能なのだ。

自分の職場のバスに客として乗る機会は度々あるが、今では全体の1割程度の乗務員しか音楽を鳴らしていないようだ。営業所によっては「ウチの営業所では、全路線で音楽を流さないこと」とするところも出てきた。

そして、装置が取り付けられてから12年目の今年4月1日より、「全ての営業所、全ての路線で音楽を流すのを中止しなさい」と指示が出た。

お客様からの偏った要望で、高価な金額を払ってプログラム開発をして音楽を流し始め、結局はお客様からの要望で音楽を流すことを中止すると云う、如何にもお役所にありがちな事態の流れである。初めから、音楽を流すことの是非をもっと慎重に検討していれば、この一連の流れは避けられたのではないか。

はっきり言うが、私は「下らない顛末だなぁ」と思っている。
辛口な意見であることは承知の上であるけれど。

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2012年3月23日 (金)

懐かしの10円フーセンガム

先日、同僚と職場近くの中華料理屋で食事をしたら、支払いの後でこんなものをくれた。

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何とも懐かしい、子供の頃、駄菓子屋で買った10円の風船ガムである。これにはオレンジのバージョンもあり、同僚はオレンジの方を手渡されていた。

中身はこんな

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直径が1センチ程度だろうか、いびつな円形のガムが4個入っているだけのものである。

子供の頃、駄菓子屋さんへ行ってはこんな安物のガムを買い食いしていたことを思い出す。特にこのガムは「10円」と云う安さが売りで、子供たちに非常な人気があった。当時は子供のバス運賃が15円だったから、それに準じる安易な菓子だったと記憶している。

今はどこでどんな値段で売っているのだろう? 10円の値段を貫き通しているのだろうか? 名古屋には「明道町(めいどうちょう)」と云う駄菓子の問屋街があり、そこでなら扱っているかも知れない。

思いがけない所で思いがけない菓子をもらったので、ちょっと記事にしてみた。

あ、因みに「駄菓子」と云うのは現在の世では『差別用語』として公務員などは使ってはいけない言葉なのだそうだ。「安価な菓子」などと呼ばなきゃいけないというのである。「菓子」の前に「駄」の字が付くから、それで差別用語扱いされるらしい。
そこまで細かいこと言わなくても……世知辛い世の中になったものだ。「駄菓子屋さん」の響き、今でも個人的には好きなのだが。

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